その理由は、日本CCCを批判するためではなく、日本CCCが長い間はまってきて抜けきれないでいる穴を明らかにし、それを克服して、いよいよムーブメントが日本を覆うためである。
はまっている穴を一言で言うなら、「コミットメントの分裂」によるムーブメント破壊。
まず、大学生。
信仰による個人伝道で救われ、フォローアップされ、弟子訓練に進む大学生たちは、そのプロセスの途中で地域教会への参加を指導される。地域教会の教育プログラムに参加し、各種行事への参加が深まってゆく。
一方、大学では、CCCの弟子訓練グループに参加し、サークル活動としてのCCCイベントの制作運営に携わり、毎週木曜夜は、CCC礼拝の運営に参加する。
一人の大学生が、CCCの教育プログラムやイベントと、地域教会の教育プログラムやイベントに参加し続けることによって起きてくる現象、混乱は以下のものである。
混乱1:活動だらけで忙しすぎ
混乱2:教会とCCCでは教えが異なる
混乱3:スケジュールのバッティング
混乱4:コミットメントの分裂
この結果、次のような結果が起きる。
結果1:燃え尽き
結果2:伝道・弟子訓練に集中できず、霊的倍加を見れない
結果3:大学生たちではなく、スタッフ中心の働き
結果4:卒業したらすべてチャラ
以上は大学生たちに見られる「コミットメントの分裂」によるムーブメント破壊であるが、これは、CCCスタッフたちにも同じようなポイントで深く浸透している問題である。
JCCCは、霊的な倍加によるムーブメント形成を目指しているとは言いつつも、その実、ムーブメントにはなっていけないしくみ、ないし、手順を自らの内にかかえてしまっているように思う。
JCCCが上記のような穴から抜け出して、本当のムーブメントを形成する道に入ってゆくには、JCCCが歴史的な転換をしなければならないと考える。
どのような転換か。
一言で言えば、偏狭な「教会観」から脱却し、御言葉と聖霊の導きによる新しい「教会」形成にだけ集中すること。
JCCCは、83年から再スタートしたとは言え、地域教会からのクレームが起きないよう気にしながらここまでやってきたように思う。言い換えると、地域教会のごきげんを伺いながらの働きであったように思う。
ところが近年、現代の地域教会のあり方そのものが聖書的であったかどうかが問われ始めており、同時に、使徒的教会形成が見直され全世界的なムーブメントになりつつある。
JCCCがあるべき姿は、端的に言えば、自ら伝道しフォローアップしている大学生たちがそのまま「教会」になることを励まし、既存教会につなげて自らの実をだめにしてしまうという従来のやり方をやめることである。
聖書の教える「教会」とは、・・・・であると信じる。
JCCCの働きは、本来、弟子育成・派遣という、いわゆるチャーチプランティングムーブメントそのものである。
故に、今後JCCCは、従来の地域教会を否定することなく、かつ、教会を生み出す働きとしての位置づけを明確に打ち出し、既存の地域教会からの理解と協力、期待を集めて、全国各地に大学生主体のミニチャーチ形成をすすめていくべきと確信する。
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