2009年9月16日水曜日

癒しの福音だけでいいのか?

♪君は愛されるため生まれたあ♪昨年何度も何度も耳にし口にした曲。とってもうれしい反面、ちょっと待てよとも思わされている。

日本では、どちらかというと、個人の癒し系福音が語られることにちょっと偏りすぎてはいないだろうかという疑問である。福音は確かに個人の魂に働きかける。でも、それを強調しすぎて、自分の癒し、自分の救い、自分の満たしという自分のことばかり考えているクリスチャンが多すぎはしまいか?

確かに心に、魂に、深い慰めを必要としている人々がいる。その人々には「愛されるため生まれた」というメッセージは何と甘美な響きだろう。けれど、実際のところ、世の中には癒しや慰めばかり求めている人々ばかりではない。しっかりと高い問題意識や将来に備えて虎視眈々と準備している若者は実は多いと推測する。このタイプの若者たちには、「君は愛されるため生まれた」というメッセージよりも、むしろ、「君は愛するために生まれた」というメッセージの方が勇気とやりがい、生き甲斐を感じさせるだろう。

そろそろJCCCも、「君は愛するために生まれた」というメッセージをかかげる伝道に取り組むべきではないか。「癒しの福音」から、「生き甲斐の福音」にシフトするべきだと思う。

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