2009年9月17日木曜日

日本CCCのあるべき姿(私案)

きょう、アンドリュー&エイミーから、香港CCCのコミュニティ部門がCCCから離れて独立した、と聞きました。理由は、香港CCCがいままでよりもっとキャンパスミニストリーにフォーカスするためだということでした。

率直に、「Great!」と思いました。的を射ていると感心しました。「いいなあ」とうらやましくなりました。

私が長年にわたって主張してきた「日本CCCのあるべき姿」もまさに、「キャンパスミニストリーへのフォーカス」「本業回帰」だからです。

私は、日本CCCの現状に危機感を持っています。
1.CCCがかかわっている大学数約15 (でも全国には1200大学短大あり)
2.サマーキャンプ参加学生人数約150人 (でも全国学生総数は300万人)
3.日本人キャンパススタッフ数約25人 (でも独身男性スタッフはそのうちたった5人)
4.キャンパスミニストリー用ファンド0円 (でもカバレッジファンドは数百万円)

このような状況にあって、日本CCCは、本業である「日本人大学生の弟子化」に集中するよりもむしろ、それには直接貢献しにくい「派生的な働き」(コミュニティやカバレッジ)に、人材、資金などの力を分散し続けています。

人材としては、それでなくても少ない日本人スタッフを、キャンパスミニストリーとコミュニティミニストリーの間で、ひっぱりあいしている状態です。

資金としては、カバレッジ(ばらまき型伝道)のためのファンドレイズが中心であったり、メインドナーの情報がNDレベルで封印されていることによって、キャンパスミニストリーとして自由にファンドレイズすることがむずかしい状況が続いています。

日本CCCそしてこの日本の現状は、端的に言って、大学生宣教だけでもやるべきことが山積みで、あと約1185大学に届いていかなければならないのに、派生的な働きに人材や資金を傾けている時ではないのではないか、日本宣教の歴史の中で一度は全大学短大に福音の旗をかかげることに総力を結集してみてもいいのではないかというのが、私の個人的な見解です。

日本全体に福音の影響を一日も早く起こしたいなら、まずは、1200大学短大300万人の大学生たちだけに一点集中して、持てるリソースのすべてを投入すべきだと思うのです。

私から見れば、日本CCCは本来のその使命からちょっとはずれたところでくすぶっているように見えて歯がゆいと感じています。

それではこうした現状で甘んじている原因はどこにあるのでしょうか?

大きな原因のひとつが、ND(日本CCC代表)の心であると思います。

1.大学生宣教への情熱と確信の欠如

現NDは、CCCのキャンパスミニストリーで救われ弟子化された人ではなく、かつスタッフになってからも現場大学でのミニストリー経験が実質3~4年と浅く、彼の日頃の言動からは、「日本人大学生の弟子化こそが日本宣教にとって最優先、急務である」というパッションを感じることがとてもむずかしいと感じています。

推測ですが、現NDにとって、大学生伝道は、伝道の働きの一部にすぎず、大学生宣教だけにフォーカスすることは単なる「極論」に感じるのかもしれません。

バブル期に、航空業界が本業の航空輸送からホテル業や不動産業にまで手を広げて大失敗したという経験があります。

手を広げると言うことは、少ない人材をさらにあちこちに散らしすべての部門が浅い働きになりかねません。それぞれが浅いままなのでいつまでたっても核心部分である本業は充実しません。ひいては、その組織の本来の使命がなくなってしまうという結果を招くこともあるでしょう。(多くのミッションスクールの現状がこれでしょう。)

新人スタッフトレーニングで、「ムーブメントによって全世界の霊的祝福を願うなら大学生の弟子化こそが最優先である」と教えているなら、いままさに、日本CCCは、本業回帰に大きく舵をとる必要があるのではないでしょうか。

2.弟子訓練の心、姿勢の欠如

さらに、現NDに「弟子訓練」「人材の育成」のために人と向き合い、関わっていくという姿勢が希薄な点を憂慮しています。本来、チームリーダーは、自分の周囲のスタッフたちの成長に何よりの関心と献身を払うべきだと思います。特に、CCCのような弟子訓練を標榜している団体においては、チームメンバーとは自分の弟子たちと見なすことができます。弟子訓練を心にしているかぎり、人の育成や成長に心と時間とお金を傾けるのは自然なことであり喜びだと思います。私は、現NDのもとで過去7年間いっしょに働いてきましたが、現NDが私の成長を願って、向き合う、関わる、指導する、愛する、共にすごす、ということをやってくれたという記憶がないということを、残念ながら否定することができません。

以上のことから、そろそろ、CCCの本来の使命、すなわり「日本、そして世界の大学生の弟子化」にいのちをかける体制に変わる必要があるのではないかと進言したいのです。

具体的には、NDの交替が必要なのではと進言したいと思います。

最後に、上記のような考えの根拠になっている御言葉を記します。

エペソ5:15~17
そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

(この文章は、閲覧のためではなく、個人の覚え書きとして記しました。現NDの人格を批判したり攻撃するものではなく、純粋に、職務上の適性に関して論じています。)

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